隠岐の歴史

神々と木と人がつむぐ島 ― 隠岐の歴史と自然

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本州からおよそ60km、日本海に浮かぶ隠岐諸島
地図で見れば小さな点にすぎない島々ですが、日本の歴史においては大きな存在感を放ってきました。

遥か古代から、神々、帝、自然、そして人々が共に生きてきた、時の流れが深く積み重なる場所です。
私たちが暮らし、木々とともに生きるこの島の歴史について、少しご紹介させてください。

黒曜石の資料
先史時代

黒き石が結んだ道 ― 太古からの隠岐と本土のつながり

遥か昔――まだ国も言葉もなかった頃。この島の地中深くに眠る黒く光る石は、人々を動かす力を持っていました。隠岐は、石器時代の人々にとって貴重な黒曜石の産地でした。

久見、加茂、津井などでは高品質な黒曜石が採れ、それは海を越えて中国・四国地方へと広がっていきました。

本土の各地――島根、鳥取、新潟や四国でも隠岐産の黒曜石が発見され、隠岐と本土のつながりを物語っています。

隠岐の自然
712年

古代神話に登場 ― 隠伎之三子島

隠岐が日本の歴史に初めて登場するのは、『古事記』。神話の中で、隠岐は「隠伎之三子島」と記され、大八島の一つとされます。

イザナギとイザナミが創った国の一部として、本州や四国と並び重要な島でした。

「三子島」は、島後を“親島”、中ノ島・西ノ島・知夫里島を“子島”と見立てた呼び名です。

後鳥羽上皇と隠岐神社
1221年

後鳥羽上皇の配流

後鳥羽天皇は承久の乱に敗れ、中ノ島(海士町)に配流されました。

隠岐では19年間を過ごし、和歌を詠み、地元の人々にも慕われて60歳で没しました。

その功績を称えて創建されたのが隠岐神社です。

後醍醐天皇の配流地
1332年

後醍醐天皇の島流し

倒幕に失敗した後醍醐天皇は、1332年に隠岐へ島流しにされます。

1年後に脱出しましたが、西ノ島または島後に住んでいたとされ、いまだ議論があります。

このように隠岐は、豊かな自然と食料、吉兆の方角、そして隔離に適した地形を備えた、二人の天皇の流刑地にふさわしい島として選ばれました。

海と森に寄り添う暮らし
江戸時代初期

松江藩のもとで育まれた隠岐の暮らし

江戸時代初期、隠岐は松江藩の領地となりました。

豊かな漁場を生かした漁業は、島の主要産業として発展し、各村に漁業税が課されるようになりました。

一方、山では杉やヒノキが育ち、木材は本土との交易品に。地形の厳しさのなかでも人々は田畑を切り拓き、稲作にも励んでいました。

海、山、土――自然と共にある暮らしが、島の日常を形づくっていたのです。

江戸時代後期
現在の西郷港
江戸時代後期

北前船が運んだ交流

18世紀以降、隠岐は日本海航路の中継地として重要性を増し、蝦夷地と上方を結ぶ 北前船が西郷港に立ち寄るようになりました。

なかでも西郷港は「風待ち港」として知られ、年間約2,000隻もの船が寄港し、船乗りや商人たちで賑わいました。

こうして、知らぬ土地の言葉や物資・文化・技術が静かに隠岐の暮らしを彩り、新たなつながりが生まれていったのです。

隠岐の杉の巨木
現在

神話の島から世界ジオパークへ ― 隠岐の現在

現在の隠岐は自然と歴史が息づく島。約2万人が暮らし、漁業・農業・観光が主産業です。

2013年には世界ジオパークに認定され、地質や風景が高く評価されています。

神社・祭り・巨木信仰など、古代文化の名残が今も日常に息づいています。


隠岐とあずま家具の木 ― 神宿る森の記憶

隠岐島大木

隠岐には、現在も100を超える神社が存在します。
特に注目すべきは、延喜式神名帳(927年)に記された16社の神社のうち、4社が隠岐にあるということ。これは島根県全体でも有数の数です。

そんな「神の島」には、神社そのものではなく、木そのものを御神体として祀る文化が今も息づいています。
それを象徴するのが、島内に点在する巨大な杉の木々です。


隠岐の4大杉と自然信仰

大山神社の御神木(布施)

神殿を持たず、鳥居の先に御神木のみがそびえ立つ大山神社。
樹齢800年、幹周7.1mの巨木は「神そのもの」として、2年に一度の「山祭り」でカズラを巻かれ、祈りを捧げられます。

乳房杉(岩倉神社)

隠岐島大木

大満寺山の麓に佇む乳房杉は、枝から鍾乳石のように垂れ下がる根がまるで「母なる存在」。神秘的な姿は訪れる人の心を浄化するとも言われています。

かぶら杉(中村)

道路沿いに突然現れる樹齢600年のかぶら杉。
一本の株から複数の幹が立ち上がる姿は力強く、触れることができる御神木として多くの人に親しまれています。

八百杉(玉若酢命神社)

樹齢1000年以上、国の天然記念物でもあるこの杉は、「八百比丘尼が植えた」という伝説を持ちます。添木で支えられながらも、生き続けるその姿はまさに島の宝です。


杉の正体は「氷河期の生き残り」

実は、これらの杉の多くは、日本海側に分布する「ウラスギ」に分類されます。
太古、氷河期に本州で育てなくなったスギが、隠岐という“逃げ場”にたどり着きました。そして、海に囲まれた離島となったことで、隠岐に閉じ込められた杉たちは、独自の遺伝子を残してきたのです。

これらの巨木は、ただの木ではありません。氷河期から生き残った太古の記憶そのものなのです。


木と共にある暮らしを、これからも


隠岐は、神々が生まれ、貴人が流れ、自然と共に暮らしてきた「時間の島」。
私たちの家具づくりもまた、この島の歴史と木々の命の延長にあります。

削り出すのではなく、対話しながら形にする。
隠岐の森が紡いだ物語を、日々の暮らしの中に届けていけたらと願っています。


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